孤独のダイアリー2 ~自死家族 - 私の父~
ザ・九州男児!
ザ・亭主関白!
というような父がなぜ自らの命を絶ってしまったのか・・
私たち家族があまりにうつ病に対しての理解ができていなかったからかもしれません
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父が若い頃
とにかく酒癖が悪くて悪くて
飲みすぎて近所のおじさんとケンカしたり
家で暴れ母を殴ったり、ふすまを壊したり、窓ガラスを割ったり
給料を全部飲み代に使ったり、浮気したり(母親談)
私自身、結婚して家を出るまで
父がお酒を飲んで帰ってくる時は恐怖でしかなかったです
家を出たかったから結婚したと言っても過言ではないほど・・
(お父さんごめんね^^;)
小学校上がる前だったと思うのですが
2〜3回、母と子供4人で親戚のところへ家出をしたこともあります
数日するとまた帰るんですけどね・・
母は母で、子供の頃から苦労をしていて
小さい時に母の母、つまり私の祖母は家を出て行ったそうです
母の父、つまり祖父もかなりの酒乱だったようで・・
母の父(祖父)と、母父の母(曾祖母)、兄弟3人で暮らしていたそうですが
母が20代には、母の父(祖父)や母父の母(曾祖母)も亡くなり
母には帰る実家はありませんでした
「帰る家がないから離婚することができない」
と言っていたこともあったように記憶しています
(今みたいに離婚が当たり前ではない時代でしたからね〜)
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特にひどかったのが父と弟の関係
弟が高校卒業してからは本当にひどかったです
弟が赤ちゃん頃、痙攣を良く起こしていたらしく
てんかんまではいかなくとも、脳にダメージが残ったそうです
(障害者認定はしてもらっていない、ちえおくれと言われていた)
小学校に入ると普通学級か、特殊学級に入るか、そういう話もありました
見た目は普通なのですが、覚えが悪かったり計算ができなかったりしたので
バカにされて良くいじめられていました
2歳下の弟がいじめられていることが恥ずかしくて
兄弟であることを隠していたこともありました(ごめんね><)
勉強ができない、コミュニケーションも苦手な弟だったので
高校卒業後、父の自営の仕事を手伝うしかありませんでした
母は外に出したかったようですが、父がそれを許さなかったようです
とにかく父の言うことは絶対でしたから
父は父なりに息子(弟)のことを思ってのことだったのかもしれませんが
何事にも覚えが悪い弟に対して、ものを投げつけたり、叱責したり、、
それはそれは本当にひどいものでした
弟は仕事もまともにできないのに車の改造車にはまり
家族が知らないうちに借金を作っていました
(カードを作れないはずなのに悪い車屋に騙されました)
さらに父と弟の関係は悪化
支払いができずに裁判所から通知が来た時は
父は弟を殺す勢いでしたからね、、
今思い出しただけでも胸が苦しくなります
当時その時期が一番の暗黒の時代だったので
弟がその時に何をしていたのか覚えていなかったりします
引きこもっていたか、父が家にいる時はどこかに出かけて
父が寝てから帰ってくるという生活だったかな?
しまいには
息子を家から追い出し、庭の小屋の2階に住まわせていましたからね
当時は本当にひどい父親でしたよ・・
そんな状況でしたので
「こんな家族もう嫌だ!」と何度思ったことか・・
母も弟も耐えるしかありませんでしたから
今だと「DV」ですよ、完全に
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母も苦しんでいる、弟も苦しんでいる
酒を飲んでは暴れる父
その日の気分で1日中家で寝ていたり
自分のことを棚に上げて人に注意ばかりしていましたから
死んでしまえばいいのに!と思ってました、正直
(お父さんごめんね・笑)
子どもたちみんな社会人になったからいつでも離婚していいよと平気で母には言っていました
充分、母は頑張ってきたと本当に思うのです
ですが母の時代の人は簡単に離婚を決断できなかったようです
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そんな父がなぜ自殺をしたのか?
次から振り返ってみたいと思います